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Pompei:ポンペイ-03(ポンペイ遺跡) [イタリア]

【1970年6月12日】
Fri. 12/June/1970
画像のタイトル:
◆マウントに手書きされた父の説明(+連番)
◇私が調べたこと

★1日かけて,ポンペイとナポリを観光。ポンペイ遺跡の画像,その2。
ポンペイ遺跡で,マリーナ門からForo(公共広場)周辺を歩いたようすです。

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◆ポンペイ 入り口
◇マリーナ門に入り,出るところ。
☆現在は駅からすぐにマリーナ門に行けるようですが,1970年当時はプリーニオ通り(Via Plinio)から入ったようです(前出の記事「Pompei:ポンペイ-02」を参照)。


▼以下,2画像はポンペイ遺跡のマリーナ門の付近と思われます。
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◆ポンペイ遺跡 酒屋
◇(不明)
☆次の画像がBasilicaなので,マリーナ門とBasilicaの間で撮影したものと思われます。
地図上では,マリーナ通りの西側の構造物と思われます。
☆ポジのマウントに「酒屋」と書かれていますが,単純に,発掘された瓶(かめ)が置かれていただけなのかもしれません。少なくとも,私には酒屋には見えません。
現在は,盗難防止のためにこうした出土品を倉庫にまとめてあるようです。1970年当時は結構ゆるかったのでしょう(きれいすぎる壺や瓶なので,もしかしたら1970年当時もレプリカだったのかもしれません)。


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◆ポンペイ 遺跡-01
◇バジリカ(Basilica)。バシリカとも言うようです。
☆マリーナ通りの南側。裁判,商取引などが行われたとか。


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◆ポンペイ 遺跡-02
◇Foroに入るところ?
☆次の画像の反対側から撮影したものと思われます。
☆父の撮影画像には,よく子供の姿が写り込んでいます。小学生だった私も「外国の子供って,どうしてこんなにかわいいのだろう」と驚きましたので,おとなである父も珍しがって撮影していたのかもしれません。


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◆ポンペイ 遺跡-03
◇Foro内。北方向をのぞむ。奥はユピテル神殿(Tepio di Giove)正面。
☆1枚目の画像左側に見える,2階建ての柱群は,現在は最上部の横に渡してある部分が無くなっているようです。


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◆ポンペイ 遺跡-04
◇Foro内。南方向をのぞむ。
☆女性を撮影したのだと思われます。


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◆ポンペイ 遺跡-05
◇アッボンダンツァ通り(Via dell' Abbondanza)の始点。Foroの東側から東に延びる通り。
☆次の画像「ユマキア市場」の脇にあるようです。
3つの石は,現在では角も丸くなっていて,本当にこの場所なのか自信がありません。


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◆ポンペイ 遺跡-06
◇Foro内東にある,ユマキア(エウマキア)市場(Edificio di Eumachia)の柱。
☆この柱は現在とあまり変わらないようです。


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◆ポンペイ 遺跡-07
◇Foroから北西の街路? 石畳の凹み=轍(わだち)の痕跡。
☆かすかな記憶によると,父が「馬車の車輪で,石が凹んでしまうほど交通が激しかったんだ」と解説していたような…。
1970年当時の居住地域(東北の地方都市)では,バス通りが舗装されている以外,砂利道が多かったように記憶しています。それに比べて,大昔のイタリアの都市では石畳で舗装され,その石が凹むほどの交通量だったというのが,幼心に「すごいなぁ,外国って」と驚いたものでした。

☆インターネット上で閲覧できるポンペイ遺跡の画像の多くは,2000年以降の撮影のようで,1970年当時とかなり違うようです。
ポンペイが埋もれる以前の姿に修復していると思いたいのですが,1970年の手つかずの姿っぽい様相が観光向けに「きれいに」補修されているだけのような感じもします。
石積みの塀(へい)が,赤いきれいな煉瓦で積み直されているような場所も多く見られました。

☆引き続き,ポンペイ遺跡内の画像をアップしていきます。
〈了〉

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Pompei:ポンペイ-02 [イタリア]

【1970年6月12日】
Fri. 12/June/1970
画像のタイトル:
◆マウントに手書きされた父の説明(+連番)
◇私が調べたこと

★1日かけて,ポンペイとナポリを観光。

▼以下,4画像はポンペイ遺跡の入り口付近
img319-88.jpg
◆ポンペイ すだれ
◇ポンペイ遺跡の入り口付近?
☆撮影ポジの前後関係から,ポンペイ遺跡の入り口付近のカットだと思われますが,不明。
次のカット(次画像)がマリーナ門下からジネストレ通りへ北上した場所のようなので,それよりも手前なのだと思います。
父は「イタリアにも日本と同じすだれがあったんだぞ」と,かなり興奮して話していた,と,記憶しています(すだれというよりは,よしず?)。


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◆ポンペイ 入り口
◇プリニオ通り(Via Plinio)にある現在のビクトリアホテル角の入り口から遺跡内に入り,マリーナ門下(Piazza Porta Marina Inferiore)を北上し,ジネストレ通り(Viale delle Ginestre)から北方向に向かって撮影したようです。
☆現在のポンペイ遺跡と,1970年のポンペイ遺跡の入り口や通路は異なるようで,1986年作成のイタリア観光ガイドブックを参考にしました。


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◆ポンペイ 博物館-01
◇ポンペイ遺跡内の小博物館(Antiquarium)?
☆正面に「ICONOGRAFIA POMPEIANA(ポンペイの像)」の文字が見えます。
この女性の立像をインターネット上で検索してみましたが,同じものは見つかりませんでした。
☆おそらく,マリーナ門(Porta Marina)とバシリカ(Basilica)の中間に現存する建物で,ポンペイで出土したものを展示している施設だと思われます。
☆この施設は現在閉鎖されているのか,情報がありません。建物自体はあるようで,Google mapのストリートビューで確認できたほか,分化遺産専門の設計企業(?)のサイトで2010年の建物の外観も確認できました。 →「SAMOA RESTAURI」
http://samoarestauri.com/lavori/museo/antiquarium.html

☆これも1986年作成のイタリア観光ガイドブックに掲載されていた地図を参考にしました(違う建物なのかもしれません)。


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◆ポンペイ 博物館-02
◇ポンペイ遺跡内の小博物館(Antiquarium)?
☆正面に「POMPEI ROMANA(ポンペイのロマン?)」の文字。
☆前出の画像と同じ,出土品を展示している施設と思われます。
左右にはガラスの展示ケースがあります。
左の壁面にはモザイク画(ヤマドリのような鳥?)と思われるものが掲示されています。
☆画像に写り込んでいる,女性2名(緑色のワンピース,派手な横シマのワンピース)は,別の場所でも遭遇していたようです(次の記事「Pompei:ポンペイ-03」の[ポンペイ 遺跡-04]の画像参照)。

☆撮影ポジのマウントに書かれた「ポンペイ博物館」は,インターネット上で検索できませんでした。
出てくるのは「ナポリ考古学博物館」ばかりで,この撮影ポジはポンペイとはまったく別の場所で撮影したのか? と,暗礁に乗り上げ,お手上げ寸前でした。
あきらめかけて,手元にあった観光ガイドブック「いい旅する人のパートナー Handy World Map ROME - ITALY」(ザ・トラベル商会 1986年初版発行)を見たら,ポンペイの案内図に「小博物館(Antiquarium)」がありました。
旅行ガイドブックを制作・販売する「ザ・トラベル商会」は奇遇にも1970年8月設立(現在は「株式会社ラテラネットワーク」)。このガイドブックに助けられました。
〈了〉

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Pompei:ポンペイ-01 [イタリア]

【1970年6月12日】
Fri. 12/June/1970
画像のタイトル:
◆マウントに手書きされた父の説明(+連番)
◇私が調べたこと

★1日かけて,ポンペイとナポリを観光。
まずは,ポンペイ近く,エルコラーノのカメオ店へ行ったようです。

▼以下,3画像はカメオ製作・販売所「ドナディオ」内のようす。
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◆カメオ-01, 02, 03
◇ Donadio Coralli e Cammei s.r.l.(カメオ製造・販売店)
☆カメオを物色している様子が6カットもありました。カメオ自体ははっきり撮影されていなくて,どのカットも買い物客をメインに撮影したようです。
お客さんの表情が生き生きしているのと,ファッションが1970年らしくて面白いと思いました。

☆お店の情報
DONADIO CORALLI E CAMMEI
ERCOLANO
NAPLES, ITALY

http://www.donadiosrl.it/
*2020年8月現在,上記urlへはアクセスできません。
※ドナディオは2011年4月からポンペイにも出店したそうです。
1970年6月はエルコラーノ店しかなかったようですし,背景の窓の意匠からもエルコラーノ店での撮影だと思われます。

☆カメオ販売店の場所(エルコラーノ:Ercolano)とポンペイ遺跡は近いので,当時はお決まりの観光ルートだったと想像されます。
引き続き,ポンペイ遺跡内の記事をアップします。

☆父はDonadioでカメオのブローチを母へのおみやげにしたのですが,購入記録も無く,帰国時の税関資料にもカメオは記入されていません。
現地から直接日本に送ったのかどうか,不明です。カメオ自体も実家のどこかにあると思うのですが,行方知れずです。

【追記】記事アップ時,画像は2点でしたが,1点追加しました。
女性のうれしそうな顔がよかったので。
〈了〉

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Rome:ローマ-09 [イタリア]

【1970年6月11日】
Thu. 11/June/1970
画像のタイトル:
◆マウントに手書きされた父の説明(+連番)
◇私が調べたこと

★ローマ市内観光の続き。

▼以下,3画像はカラカラ浴場跡(?)。
img305-88.jpg

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◆カラカラ-01, 02, 03
◇Terme di Caracalla
☆3枚目の画像,ポジフィルムのマウントには「駐車場」のメモ。カラカラ浴場跡の駐車場,ということでしょう。


▼以下,3画像はパラティーノの丘(Monte Palatino)?
img308-88.jpg

img309-88.jpg

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◆ローマ宮殿-01, 02, 03
◇パラティーノの丘(Monte Palatino)からの眺め?
☆調べ切れていません。フォロ・ロマーノを上から見ているのかも。


img311-88.jpg
◆ローマ
◇カピトリーノの丘(Monte Campidoglio・カンピドリオの丘)。
☆ツアーのガイドブック(英語表記)には,Capitoline hillに行く予定が書かれていますが,撮影はこの1枚のみ。バスから降りずに見ただけかもしれません。

〈了〉

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Rome:ローマ-08 [イタリア]

【1970年6月11日】
Thu. 11/June/1970
画像のタイトル:
◆マウントに手書きされた父の説明(+連番)
◇私が調べたこと

★カタコンベ(地下墓所。catacombe)を観光。
カタコンベのひとつ,ドミティッラ(アッピア街道)の画像です。

▼以下,5画像連続します。
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◆カタコウム入り口-01

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◆カタコウム入り口-02

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◆カタコウム入り口-03

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◆カタコウム入り口-04

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◆カタコウム入り口-05
◇DOMITILLA
☆カタコウムは英語表記(catacomb)の読み。
☆地下墓地に続く建物の周囲のようすです。
☆02の画像が,建物の外壁で,左側面に「DOMITILLA」の文字が見えます。
☆05の画像中,上部に「COEMETERIVM DOMITILLAE」の文字が見えます。
「COEMETERIVM」が「COEMETERIUM」の誤記(VとUの違い)なのか,は,不明です。


▼2画像連続
img299-88.jpg
◆カタコウム-06

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◆カタコウム-07
◇建物の内部。
☆内部は,当時も撮影禁止であったのか,あるいは暗いために撮影できなかったのか,不明。
内部のようすは,12枚のポジフィルムがセットになった販売品で確認できました(後日アップの予定)。
*2021年7月現在,まだポジフィルムのスキャンもできていません。時間に余裕ができたら作業します。

☆小学生当時,地下墓地という,日本には無い文化のうえに,墓地の周囲が庭園風に美しく管理されていることに驚いた記憶があります。
日本の墓地も,樹木が植えられていて,それなりに美しく管理されているのに,暗いイメージしかなかったのは,当時見ていたアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」の影響かもしれません。

〈了〉

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